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「ちむどんどん」まめ知識 第75回

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今日の「ちむどんどん」より、自身の沖縄戦体験を語る、嘉手刈源次氏。 短いシーンながら、大きな存在感を示しました。 ガマ(洞窟)で遺骨収集を行う氏ですが、実際に今も沖縄で遺骨を掘り続ける人がいるのをご存じでしょうか? * その方は、1983年にボランティア「ガマフヤー」を組織し、収集活動を続ける具志堅隆松さん。 単に遺骨を掘り出すだけではなく、骨の姿勢や破損箇所、付近の遺留品も細かく検分。 遺骨がどんな人で、何が死因で、当時の現場がどんな状況だったのかまで明らかにします。 * ジーファー(女性のかんざし)を肌身に持っていた沖縄の兵隊。 服のボタンからそれとわかった中学生。 脚の骨の破損から、正座して手榴弾で自決したとみられる兵隊達。 遺骨とは”戦争体験者以上に戦争の実態を物語ろうという人たち”だといいます。 今その声を、決して無視してはならないでしょう。 * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #沖縄戦 #地上戦 #遺骨収集 #ガマフヤー #具志堅隆松 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon 前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第74回 その2

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終わっていないわけ…ウチの戦争は! 今日の「ちむどんどん」は、優子のセリフが全てでしょう。 沖縄には、戦争の体験を誰にも語れず、心に秘めてきた方々がおられます。 それはあまりにも悲惨だったり、罪の意識に苛まれていたり、心の傷が大きすぎるから…。 * 米兵だけでなく日本兵からも暴行され、目の前で家族が殺された。 子どもや女性も徴用され、伝令や偵察・そして特攻までさせられた。 壕の中で泣き止まぬ赤ん坊を手にかけた。 家族全員で自決を試みるも、自分だけ失敗し生き残った。 それらが60年70年経ち、絞り出すように語られる事もあるのです。 * 今も道路を工事すれば、不発弾がゴロゴロ出てくる沖縄。 多くの遺骨や遺品が、洞窟に生々しく残る沖縄。 ベトナム・イラクなどでアメリカが戦争を始めれば、沖縄の基地がその最前線に。 戦争を悲劇として”味わう”余裕など、今も沖縄にはなく、そして涙する優子の姿も変わっていません。 * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #沖縄戦 #地上戦 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon 前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第74回

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今日の「ちむどんどん」では、歌子の唄声をバックに、やんばるの家族や東京の房子・鶴見の人々らが、黄色い紙を燃やしていました。 あの紙の意味と、歌についても説明しておきましょう。 * あの黄色い紙は「ウチカビ(打ち紙)」。 別名「カビジン(紙銭)」ともいい、銭柄が打ち付けてある事からも分かるように、ご先祖様があの世で使う紙幣なのです。 お盆などでこれを燃やすとあの世に送金され、ご先祖様がリッチに暮らせるというわけ。 中国やベトナムなど、アジア各国に同様の風習があります。 * また歌子が唄ったのは「てぃんさぐぬ花」、沖縄の代表的な童謡の一つ。 “親の教えを心に染み込ませ、大切にしなさい” ”朝夕心を磨きなさい“ など、親の情愛や日々精進する事の大切さを説いた、教訓歌。 父・母の心に触れる今回の話に、ピッタリの歌でしたね。 * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #ウチカビ #てぃんさぐぬ花 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon 前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第73回

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今日の「ちむどんどん」では、母・優子が沖縄戦の体験を語りました。 那覇で食堂を営む7人家族を最初に襲ったのは、”昭和19年10月10日の大空襲”。 今も「10.10空襲」として語り継がれるこの空襲とは、どのようなものだったのでしょう? * この日の朝6:40から夕刻までの5回に渡り、米艦載機が那覇などを空襲。 のべ1,396機による無差別爆撃で、1万を越す家屋が全壊、那覇市街の9割が消失。 さらに奄美・宮古・八重山・大東の各島までも攻撃され、死傷者は1,400人超となる未曾有の大規模空襲でした。 * こちら「那覇10.10大空襲」では、多くの資料と写真から、空襲の全容を明らかに。 「戦禍を生き延びてきた人々」には、体験者の生々しい証言が。 この空襲こそ、後に「ありったけの地獄を集めた」と米軍に言わしめた地上戦の惨劇を、予兆するものだったのです。 * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #1010空襲 #沖縄戦 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第72回

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今日の「ちむどんどん」には、沖縄の行事料理の代表格「御三味(ウサンミ)」が登場。 旧盆や清明祭(シーミー=春のお墓参り)に欠かせない、ご先祖様へのお供えです。 * 御三味の内容は、かまぼこ・昆布・こんにゃく・ごぼうの煮物や魚の天ぷら、豚の三枚肉など。 地域や行事によって、微妙な違いもあり(画像参照)。 お重に詰める際は、9つに区切って綺麗に並べ、お餅も3の倍数個。 旧盆では初日(ウンケー)にジューシー(炊込ご飯)、最終日(ウークイ)にウサンミを供えます。 * 沖縄のお盆は旧暦7月13日~15日に行われ、御三味やお菓子を供え、ウチカビ(あの世のお金)を燃やしたりエイサーを踊ったりと、様々な趣向で先祖の霊を歓待します。 このように沖縄の食や芸能は、先祖崇拝や精霊信仰などと結びつき、アジアの風習も混じりながら、独自の文化を形作ってきたのです。 * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #御三味 #ウサンミ #旧盆 #沖縄のお盆 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon #mameshobochimdondon072  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第71回

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今日の「ちむどんどん」冒頭、”沖縄の道路も左側通行になったんだねぇ”と暢子。 戦後の米軍統治時代、沖縄はアメリカ式の交通ルールで、クルマは右側通行でした。 ではそれが日本式に改められたのは、いつでしょう? * 実は、日本式の交通ルールへの変更は、日本復帰から6年も後の1978年7月30日。 この日の午前6時に、一斉に切り替わったのです。 県外からの応援含め4,200人の警官が交通整理にあたるも事故が続発、都市部では10日あまり混乱が続いたそう。 * 変更の日付から「730(ナナサンマル)」と命付けられたこの一大イベント。 周知するため、屋良ファミリーズによる”ナナサンマル音頭”という歌も作られました。 これはYMOの”Absolute Ego Dance”を思わせる(よ〜く聴くと、似てるでしょ?)、なかなかの珍曲。 ぜひ動画サイトにて検索・ご試聴ください😅 * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #ナナサンマル #730 #ナナサンマル音頭 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第69回

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今日の #ちむどんどん より、沖縄角力(ウチナージマ)のシーン。 沖縄角力の概要は、以前解説しましたが…。 実は、この競技に懸ける沖縄の人々の気持ちはとても熱く、時には人生を左右するほど。 その事を伝えてくれる、面白い本をご紹介します。 * それがこちら「世界のおすもうさん」。 相撲好きのライターとイラストレーターの女性コンビが、女相撲や高校の女子相撲部、韓国・モンゴルの力士などを取材したルポ。 沖縄角力編では辺野古と久米島を訪問して試合を観戦、そして人々の話に耳を傾けます。 * 語られるのは、角力を通して得られた仲間や家族との関わりや、人間的成長。 ただ勝つだけではない、正々堂々のきれいな角力へのこだわり。 そして米軍基地を抱える辺野古の事情や、久米島の沖縄戦の記憶。 様々な人生と沖縄の歴史に向き合いつつ、力まずに読ませてくれるユニークな一冊です。 * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #沖縄角力 #シマ #ウチナージマ #mameshobobooks #世界のおすもうさん #和田静香 #金井真紀 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ