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「ちむどんどん」まめ知識 第37回

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今日の「ちむどんどん」より。 「B円には硬貨が無く、全て紙幣でした」と説明する和彦。 子どもの頃、やんばるでセント硬貨に戸惑っていた彼も、成長しましたね。 でもいきなり”B円”と言われても、ほとんどの方は分からなかったのでは? * 実はB円とは「B型軍票」、すなわち軍が占領地で用いる”代用貨幣”の事。 戦後の沖縄では1946年から58年までの12年間に用いられました。 10, 50銭と1, 5, 10, 20, 100, 1000円の8種、全て紙幣です。 ちなみに45年〜46年4月までは無通貨時代で、収容所の捕虜の労働の対価は食料などがあてられたそう。 * B円は58年に米ドルへ、さらに72年の日本復帰で日本円に切り替えられます。 この際には交換レートが1$=¥305円と、それ以前の固定レート¥360より悪く、沖縄の人々は財産の目減りや物価高騰に悩まされました。 戦後沖縄の歴史は、通貨交換に翻弄された歴史とも言えるのです。 * 参考)「アメリカ世」に沖縄が経験したこと/池間一武 カラーおきなわ今と昔/月間沖縄社 * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #B円 #B型軍票 #軍用手票 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第36回

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今日の「ちむどんどん」で、ラジオから流れた「17才」。 歌子の持つチラシにも書かれた、南沙織のヒット曲ですね。 沖縄生まれの南沙織ですが、デビューアルバムでは鹿児島出身とされ、後に沖縄に直されたそう。 では、そこから見えてくるものは…? * 南沙織は1954年沖縄生まれ(暢子と同い年)、71年春に上京し芸能界へ。 同年6月のデビュー曲「17才」が54万枚の大ヒット。 それまでの”曲に合わせて歌手が選ばれ唄う”形ではなく、”歌手のキャラクターに合わせ曲を作る”というプロデュースが行われ、その意味で元祖アイドルとも言われます。 * 当初は鹿児島出身とされるも、翌年に日本復帰を控えた沖縄が注目されると、沖縄出身が強調されます。 NHKの紅白でも「沖縄代表」と紹介され、当時の”沖縄=エキゾチックな南国”イメージの象徴になりました。 それは理想化と排除が表裏一体の視線であり、沖縄の位置付けその物だっと言えるでしょう。 * 参考)米軍基地文化/太田省一 ほか * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #南沙織 #17才 #沖縄アイドル #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第35回

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今日の「ちむどんどん」、良子ネーネーが結婚しましたね。 結婚といえば、結納や披露宴など様々なイベントが付き物。 沖縄では、それらもちょっと独特なようです。 * 例えば新郎からの結納品。 昔の伝統では、松風というピンク色の琉球菓子や、カステラかまぼこ・素麺などが用いられました。 また戦前は、結婚式当日に新郎が新婦の家へ迎えに行くと、新婦の親族が道を塞ぐなどして邪魔をする…といった面白い風習も。 * また現代も、沖縄の結婚式は招待客数が多く、盛大な事で有名。 余興は伝統の琉球舞踊から爆笑ものの寸劇、実際のTV映像を使ったパロディビデオなど、凝りに凝った演出が目白押しだそう。 私もチャンスがあれば、一度参加してみたい! 参考)琉球料理/渡口初美 ああ沖縄の結婚式/玉城愛 ほか * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #沖縄の結婚式 #結納 #結婚式 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第33回

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今日の「ちむどんどん」より、母・優子が作ってくれたソーミンチャンプルー。 沖縄で素麺といえば、こうして炒めて食べるのが主流のようです。 ところが、ほぼそっくりなソーミンタシヤーとかソーミンプットゥルーという料理がありまして…。 * そもそも、チャンプルーをあえて定義すると、”主役+野菜・豆腐+その他”の炒め物。 しかし素麺の場合、家庭で作る際は具がニラ・ツナのみなどシンプルになりがち。 そうなると、チャンプルーというよりタシヤーかプットゥルーかな、という事になるよう。 詳しくは画像の説明をご覧ください。 * ではどこまでがチャンプルーでどこからがタシヤーか? またモヤシと豆腐+その他のチャンプルーは、マーミナーチャンプルーか豆腐チャンプルーか? プットゥルーは語感の通り素材がプルッとしてるからかな? など、いろいろ考えてみるのも楽しいですね😊 * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #ソーミン #ソーミンチャンプルー #ソーミンタシヤー #ソーミンプットゥルー #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon #mameshobochimdondon033  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第30回

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昨日の「ちむどんどん」より、暢子が炒めていたゴーヤー。 今や沖縄県外でもよく知られる島野菜ですね。 ところで本やネットでは ”ゴーヤー”と最後を伸ばさず ”ゴーヤ”と書かれている場合も。 どちらが正しいのでしょう? * 実は、手元にある沖縄の本では、全てがゴーヤー表記です。 また那覇の知人達も 「東京のスーパーの値札に、ゴーヤと書いてあってモヤモヤした」 「ゴーヤだと、シーサーをシーサって言うくらい違和感がある」と。 それで私も、ゴーヤーが正しくてゴーヤは間違いだと思っていました。 ところが…! * 石垣島など八重山諸島では、ゴーヤと言うのだそう。 沖縄大百科事典にも「沖縄:ゴーヤー/宮古:ゴーラ/八重山:ゴーヤ」と説明が! 沖縄は沖縄島から八重山諸島まで、本州の1/3ほどの広いエリアに跨る県。 当然言葉や文化にも各地に個性があり、そこに正解や不正解はない、と気付かされました。 #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #ゴーヤー #ゴーヤ  #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon #mameshobochimdondon030  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第29回

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今日の「ちむどんどん」より。 先に一つ言わせてください…平良会長、三線弾く時の姿勢がアカン😅 背中丸め過ぎ&身体揺らし過ぎ…まぁこれは、役者ではなく演出家が悪いですね。 でもせっかく沖縄の音楽が出てきたので、ちょっと解説を。 * 一口に沖縄の音楽と言っても、様々な物があります(画像参照)。 今日のドラマで歌われた「唐船ドーイ」は行事歌(祝い唄)。 他にも庶民の生活から生まれた労働歌や子守歌。 王朝で奏でられた古典音楽は、明や薩摩を接待する外交手段。 神様と交信するための古謡。 そして昭和に作られた新歌の数々。 * 現代でも、民謡にロックやポップス・ダンスミュージックまで融合した、新たな沖縄の音楽が生まれています。 写真に挙げている曲はweb上でもほぼ聴けますので、ぜひ触れてみてください。 沖縄の音楽文化の広さと深さに、きっと驚かれる事でしょう。 参考書籍)「しまうた」流れ/仲宗根幸市 #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #沖縄民謡 #しまうた #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第27回

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今日の「ちむどん」どんより。 暢子が鶴見で出会った、県人会長夫人・平良多江さん。 沖縄のウージ染めでしょうか、絣の着物がお似合いです。 また髪は丸く結い上げて、頭の上に留めていました。 * この髪型は「カンプー」や「カラジ」と呼ばれ、琉球王朝の時代から続く伝統的なもの。 大きなカンプーを結うには、お尻に届くほど長い髪が必要だそう。 頭に留めるには「ジーファー」という銀や木でできた簪を用います。 昔琉球を訪れたペリー達や、また岡本太郎も、この髪型に魅了されました。 * 戦前・戦中は髪やジーファーを資源として献納したり、琉装自体をやめる事が愛国的とされ、カンプーが結えない時代に。 戦後は洋装が主流となるも、祝事や祭祀・芸能の世界では、今も琉装・カンプーが欠かせません。 参照:ジーファーの記憶/今村治華 青い目が見た大琉球/ラブ・オーシュリ ほか #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #カンプー #カラジ #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon 前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第26回

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 今日の「ちむどんどん」より。 東京・安里ボクシングジムの会長、演じるは具志堅用高さん。 日本ボクシング界のレジェンド、またバラエティ番組での独特の”ボケ”も人気ですが、沖縄のある年代の方にはまさに別格の存在だそう。 なぜなら… * 具志堅さんは76年に世界王座を獲得、13回の防衛という偉業を達成。 復帰間もなく日本への引け目もあった沖縄で、「ヤマトゥんかい負きらんどー(日本には負けないぞ)」という気持ちを代弁するかのような闘争心溢れるファイティングスタイルが、人々を熱狂させたのです。 * またインタビューでは沖縄語を隠さず(隠せず?)話し、沖縄の人々をハラハラさせつつも、その朴訥な素顔によって日本中の人気者に。 そんな具志堅さんの姿が、本土に渡り差別を受けていた沖縄の人々にとって、大きな励みとなりました。 * 70〜80年代にかけ、沖縄は「ボクシング王国」と呼ばれるほど多くの世界王者を輩出。 その躍進の背景には、本土復帰後の沖縄の人々の複雑な心情があったのです。 参照:新城和博/ぼくの沖縄〈復帰後〉史プラス 新垣譲/勝利のうたを歌おう ほか #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #具志堅用高 #沖縄人ボクサー #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 番外編 その6

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朝ドラちむどんどんのまめ知識・番外編。 ドラマでは描かれなかった、戦後の沖縄での出来事をご紹介します。 その6は、50年前の今日の出来事。 沖縄の日本復帰です。 * 1972年5月15日、沖縄は米軍による統治から日本の沖縄県へと“世代わり”しました。 当日の天気は雨(ドラマではやんばるは快晴でしたが…まぁ地域差かな)。 那覇では政府主催の復帰記念式典が開催されましたが、米軍基地を残したままの復帰に、屋良朝苗知事の挨拶も喜びの中に悔しが滲むものに。 また会場の外では復帰に抗議するデモもありました。 * 写真は書籍の中に見る当時の人々の声。 「(米軍統治時代は)貧苦と屈辱のありたけを味わわされてきた」 「日本人としての誇りを得るために、沖縄人としての誇りを捨ててはいけない」 「(復帰しても)支配者が変わっただけ」 「沖縄問題は結局”日本本土の問題”」 文字が小さいですが、ぜひご一読を。 #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #日本復帰  #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ