「ちむどんどん」まめ知識 番外編 その4
戦後・米軍統治時代の沖縄を舞台とする、朝ドラちむどんどん。
ドラマでは描かれなかった出来事をご紹介する、まめ知識・番外編。
その4は、毒ガス移送。
当時沖縄の米軍は、あのサリンを含む大量の毒ガス兵器を保有していたのです。
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1969年7月、沖縄・知花弾薬庫にて毒ガスの放出事故が起きたと米国の新聞が報道。
以前から周辺地域の住民が炎症などの健康被害を訴えるも、米軍は無視していたのです。
この報道で米軍はサリン・VXなどの猛毒ガス1万3千トンの貯蔵を認め、衝撃を受けた沖縄の人々により撤去運動が高まりました。
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70年5月には県民大会も開催され、米軍はようやく撤去を決定。
71年、1月と7月の2回に分けて毒ガスは知花から天願桟橋へ移送、船で沖縄から運び出されました(米国本土でも受け入れが拒否されたため、南太平洋沖ジョンストン島へ移送)。
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第1次の移送ではルート周辺の住民5千人が避難、86校の学校が休校に。
第2次は期間も長く2ヶ月近くに渡り、住民は不安な生活を強いられました。
また移送道路の建設費20万ドルは秘密裡に日本政府が負担したのです。
(参考書籍は写真を)
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