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「ちむどんどん」まめ知識 番外編 その3

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戦後、米軍に統治されていた沖縄を舞台とする、朝ドラちむどんどん。 ドラマでは描かれなかった出来事をご紹介する、まめ知識・番外編です。 その3は、コザ暴動(コザ騒動とも)。 * 1970年12月20日未明、基地の街・コザで米兵の車が沖縄人男性をはねた事をきっかけに、集まった群衆が駐車していた米兵の車を次々と壊し始めました。 車への投石・転覆や放火、基地内への侵入などが夜明けまで続いたこの「コザ暴動」、最大4千人が参加し88人が負傷するも、死者は0でした。 * コザの人々は米兵を相手に商売をし、友人付合いもある一方、米兵からの暴力・強盗・強姦・ひき逃げ等に晒されていました。 年間1千件の被害がありながら、多くは泣き寝入りや無罪判決。 さらに土地の強奪・健康被害・環境破壊・差別など、25年に渡る理不尽な米政への怒りがこの日爆発したのです。 (参考書籍は写真を) #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #コザ暴動 #コザ騒動 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第15回

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今日の「ちむどんどん」より。“狙った獲物は逃さない”、那覇から来た音楽教師・下地響子。 私も大ファンの片桐はいりさんが演じています。 しかし下地といえば宮古諸島の島の一つ。 宮古・女性・音楽教師といえば、実はどうしても連想してしまう素晴らしい先生がいるのです。 * その方は、宮古出身の音楽家・金井喜久子さん。 1906(明治39)年、琉球王朝の芸能奉行の家系に生まれ、東京音楽学校研究科 (東京藝大大学院) を修了。 日本人女性で初めて交響楽を作曲、また琉球王朝を舞台とするオペラや八重山民謡に着想を得た「沖縄復帰祝典序曲『飛翔』」なども。 またひめゆり平和祈念資料館の建設にも尽力されました。 * そして著書「琉球の民謠」(1954)では、沖縄民謡100曲を解説、うち79曲を聞き取りで楽譜化。 複雑な琉球古典音楽の節回しまでも、膨大な労力をかけて分析した、空前絶後の名著です。 女性蔑視や沖縄差別もあった戦前・戦後、これほどの活躍をされた金井さんの姿に、誰しも胸を打たれる事でしょう。 参考書籍/琉球の民謠/金井喜久子/音楽之友社 #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #金井喜久子 #琉球の民謠 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  #mameshobochimdondon015  前へ 次へ  

「ちむどんどん」まめ知識 第14回

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今日の「ちむどんどん」より。 こちらもよく画面に映っている、比嘉家のお仏壇。 箪笥のような大さに驚かれたかも知れませんが、沖縄の古い家屋ではこれが標準的。 ではその中央に飾られている、赤いお札を並べたような物は何でしょう? * あれは、沖縄の伝統的な位牌(イーフェー)。 赤いお札一枚ずつに先祖の戒名(または俗名)が書かれ、枠には蓮の花や葉(仏教由来)・龍や瑞雲(儒教由来)などの装飾が施されています。 位牌はトートーメーやグヮンスとも呼ばれ、尊い祖霊の象徴であり、一族の歴史を辿る大切な記録でもあるのです。 * 位牌の周りには、花瓶(ハナイチ)・茶陶器・盃・御香炉(ウコール)・燭台・果物などが、決められた位置に置かれます。 比嘉家では、以前ご紹介したガンシナーを土台にしてパイナップルをお供えしてありましたね😊 参考本:御願の道具と供えもの事典/稲福政斉/ボーダーインク トートーメーの民俗学講座/波平エリ子/同 ほか #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #位牌 #イーフェー #イフェー #トートーメー #仏壇 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ  

「ちむどんどん」まめ知識 第13回

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今日の「ちむどんどん」より、比嘉家の屋根の上のシーサーです。 家を守る魔除けの一つで、今や沖縄のシンボルキャラクターとも言える存在。 ではそんなシーサーは、いつから沖縄に登場したのでしょう? * 現在のシーサーの多くは焼き物で、玄関脇や門柱に置かれるため「門柱獅子」とも呼ばれます。 しかし明治〜戦前は、瓦屋根の上に鎮座する「屋根獅子」が主流。 屋根職人が瓦屋根を葺く際に、余った瓦と漆喰で作りました。 比嘉家のシーサーも、この漆喰シーサーの仲間ですね。 * さらに昔の琉球王朝時代に、琉球石灰岩を彫って作られたのが石獅子、いわばシーサーの元祖。 個々の家ではなく村全体の魔除けであるため「村落獅子」とも。 1689年、富盛村に置かれたのが始まりで、その後各地に広がったそう。 その姿は、ユーモラスながらプリミティブな迫力も備えています。 * そんな石獅子を現代に蘇らせたとも言えるのが、首里のスタジオde-jin・若山大地さんによる手彫り石獅子。 昔の石獅子同様、珊瑚由来の琉球石灰岩から生まれたユニークな表情は、見る人の心を捉えて離しません。 シーサーの歴史を感じながら、ぜひ一度お手にとってご覧ください😊 #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #シーサー #漆喰シーサー #石獅子 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第12回 その2

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もう一つ、今日の「ちむどんどん」より。 暢子と早苗が共同売店の前で頬張っていた、丸い食べ物は何でしょう? まめ書房のお客様ならご存知かも😄 * そう、あれは沖縄の素朴なお菓子「タンナファクルー」。 黒糖の甘さと小麦粉・玉子の素朴な風味、「サクッ」でも「フワフワ」でもない、独特の食感が魅力。 当店でも固定ファンがいるほどの人気です。 * 製造元の丸玉製菓の創始者・玉那覇(タンナファ)さんのあだ名は「色黒(イルクルー)」。 つまり「タンナファはイルクルー」が縮まって「タンナファクルー」、それが名前の由来。 一袋には11個入り、キリのいい10個でないのは「1個おまけ」の気持ちだそう👍 老若男女、皆に慕われてきた沖縄の懐かしい味です。 #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #タンナファクルー #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第12回

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今日の「ちむどんどん」、智の豆腐屋を訪れた歌子が、お椀に入った物を美味しそうに食べていました。 以前、幼い暢子もよくご馳走になっていたこれは「ゆし豆腐」。 でも沖縄の豆腐といえば、どっしりして固いはずでは?。 * ゆし豆腐とは、いわば「固めていない豆腐」。 ふわりとした食感と大豆の香りが絶品、出来たては特に美味しいそう。 一方おなじみの固めた豆腐は、一丁1Kg近くあり、タンパク質やミネラルも豊富。 こちらも出来たて熱々の「あちこーこー」が好まれます。 チャンプルーなど沖縄料理に欠かせない食材ですね。 * 昔は豆腐を固めるのに海水が使われており、豆腐屋さんは綺麗な海水の取れる入江や海岸を探し、秘密にしていたのだそう。 また豆腐屋さんに海水を売る、という商売もあったとか。 沖縄の豆腐には、まだまだ面白いエピソードが沢山。 ぜひ沖縄の本で調べてみてください。 * 参考本:おうちでうちなーごはん!/はやかわゆきこ/ボーダーインク 「沖縄島豆腐」物語/林真司/潮出版社 私の琉球料理/新島正子/柴田書店 #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #ゆし豆腐 #島豆腐 #豆腐 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 第11回

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今日の「ちむどんどん」では、母・優子が村の共同売店で働いていました。 視聴者にもすっかりお馴染みのこのお店ですが、そもそも「共同売店」とは何なのでしょう? * 共同売店(共同店)とは、地域の住民が共同で出資・運営する沖縄特有の売店。 食品・衣類・日用雑貨や農機具などの販売に加え、かつては金融業や共同バス・保育所の運営や、親子ラジオの放送・電話の取り継ぎなども行われたそう。 まさに村のライフラインであり、コミュニケーションの場でした。 * 初の共同売店は1906年、やんばる・奥集落にて設立。 戦前~戦後に沖縄各地へ広がるも、暮らしの変化や人口減・コンビニ進出などで、今では最盛期の半分以下に。 現在、有志により売店の存続とその知恵を広める活動が行われています。 ぜひご覧ください👉愛と希望の共同売店プロジェクト  https://kobayashitoyamada.wixsite.com/kobayama #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #共同売店 #共同店 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 番外編 その2

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戦後の沖縄、米軍統治時代を舞台に始まった、朝ドラちむどんどん。 ドラマでは描かれなかった当時の沖縄の出来事をご紹介する、まめ知識・番外編です。 その2は、米軍の核ミサイル誤発射事故。 * 1959年6月19日、那覇空港側の米軍基地にて、核弾頭を装備したミサイル「ナイキ」が誤って発射されました。 訓練を実戦と思い焦った伍長のミスで、発射準備途中でミサイルに着火し発射。 ミサイルは基地フェンスを破って海面に着水、爆発を免れたのです。 なお発射時に伍長は身体を切断され死亡。 * 東西冷戦の下、米軍は秘密裏に1300発もの核兵器を沖縄各地に配備していました。 いつ沖縄が核攻撃されてもおかしくないと米兵も感じていたそう。 もし歯車が一つ狂えば、暢子が10歳になる前に沖縄は壊滅していたかもしれません。 では現在は?と思われたら、写真の書籍をぜひご参照ください。 * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #核ミサイル誤発射事故 #沖縄と核 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon 前へ 次へ

「ちむどんどん」まめ知識 番外編 その1

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朝ドラちむどんどん、次回から時代は1971年に。 沖縄が米軍に統治されていたアメリカ世(ゆー)も、残りわずかです。 ここでドラマでは描かれなかった、当時の沖縄での出来事を、番外編としてご紹介します。 その1は、宮森小学校米軍機墜落事故。 * 1959年6月30日、嘉手納基地を離陸した米軍ジェット戦闘機が石川市内に墜落。 機体は民家を押し潰しながら炎上、宮森小学校に激突しました。 小学生11人を含む17人が死亡、重軽傷者は210人。 校舎5棟・民家25棟・公民館1棟が全焼または半焼という大事故でした。 * 炎に襲われ火だるまになった児童らは水飲み場まで走り、次々と生き絶えたそう。 これ以外にも、50〜70年代の沖縄では米軍・米兵によって人々の命と財産が奪われる、悲惨な事故や犯罪が繰り返されていました。 県外に住む私たちこそが、知っておくべき事と思います。 * 参考本:「アメリカ世」に沖縄が経験したこと/池間一武/琉球プロジェクト 沖縄における米軍の犯罪/福地曠昭/同時代社 戦後沖縄写真集 0(ゼロ)からの時代/那覇出版社 * #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #宮森小学校米軍機墜落事故 #宮森小学校 #米軍機墜落事故 #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon 前へ 次へ  

「ちむどんどん」まめ知識 第10回

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今日のちむどんどんで、母・優子が回想していた「清明祭(シーミー)」。 青柳さんも言っていた通り、旧暦3月の先祖供養の行事ですが、「沖縄のお墓参りはピクニック」とも言われるほど賑やかです。 一体どんなものかというと… * 清明祭が行われるのは、春分の日から15日過ぎた二十四節気の「清明節」の頃。 男性血族「門中(ムンチュウ)」で繋がる親族一同が、お墓の前に大集合。 重箱(ジューバク)料理やウチカビ(打ち紙=あの世のお金)を供え、一族の安寧・発展をお祈りした後、ご先祖様も交えて皆で宴を楽しみます。 * 沖縄では古来からの先祖崇拝に仏教・道教など様々な要素が加わり、独自の伝統行事が形づくられました。 詳しく見ると、昔の人の暮らしや考え・価値観がわかり、とても興味深いです。 * 参考本:ヒヌカン・仏壇お墓と年中行事/稲福政斉/ボーダーインク よくわかる御願ハンドブック/ボーダーインク 沖縄の行事料理/松本嘉代子/沖縄文化社 沖縄しきたり歳時記/稲福政斉/ボーダーインク がじゅまるファミリー8巻/ももココロ/琉球新報社 #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識 #清明祭 #シーミー #まめ書房 #mameshobo #mameshobochimdondon  前へ 次へ